原発事故

では、

どんな被害が起こるのか?

原発事故では、どんな被害が起こるのか?

原子力災害の要因となる主な現象は放射性物質の拡散です。放射性物質は、見えない・におわない・感じない物質です。

日本には多くの原発があります。

原発事故は、大地震・津波・火山噴火など、自然災害との複合で起きることが想定されます。

福島第一原発事故が起きた時、私たちには知識も情報もありませんでした。そのために、多くの人が余計な被曝をしました。

「あの日」から、たらちねでは市民ができる防災を学び続けました。ふたたび原発事故が起きてしまったとき、必ず役立てたいと思っています。「知らない、情報がない」ことにより、子どもたちが被曝をしないよう努めていきたいと思います。

2011年3月11日 東日本大震災にともない大津波が発生し、最も深刻なレベル7の原発事故が福島第一原子力発電所でおきました。
この原発事故では地震発生の翌日12日には原発1号機が水素爆発を起こし、近隣の環境中に放射性物質を拡散しました。その後、4号機までのすべての原発が事故を起こし、災害発生からわずか4日で深刻な放射能汚染を引き起こしました。初期被曝をなるべく低くするには、情報を正確にとらえ事前の備えが重要です。
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原発事故に備える

【生活環境について】

◆ 空気中の塵埃に静電気などの影響で放射性物質がまとわりついて室内に入ることを防ぐため、窓など外気に触れるところはガムテープで目張りをし、エアコン・換気扇・24時間換気システムは止める。

◆ 事故後は空気中に放射性物質が拡散している可能性がありますので、2週間程度は巣篭もりが必要。 ※甲状腺に影響を及ぼす放射性ヨウ素131の半減期(8日間)を考慮した日数です。

◆ 外出時は、外で付着した放射性物室を室内に持ち込まないため、レインコートや長靴を着用します。玄関には濡れた新聞紙を敷き、屋外で靴の裏についた放射性物質を落とします。

◆ 森林や花壇など植物が植えてある場所・雨どい・側溝など水が流れ溜まる場所は空間線量が高くなりやすいの近づかないでください。

◆ 海や川の水も土も汚染があります。測定結果がわかるまでは注意が必要です。

◆ 災害発生時は、遠方に避難や車の中で一時的に生活することが想定されるので、常に自家用車のガソリンは満タンにしておきましょう。

【食品・水について】

◆ 事故後は水道水に放射性物質が含まれている可能性があるので、水道水は飲料には使わず、ペットボトルの水を使います。水道水の放射線量が確認できないうちは心配で飲めません。
※「あの日あの時の汚染」の水道水の測定値を参考にしてください。

◆ 食品は、なるべく測定してから食べてください。

◆ たらちねの測定の結果、事故直後は水道水よりは井戸水の方が安全でした。山水、簡易水道は危険です。

◆ 2週間はお風呂を控えてください。

◆ 放射性物質の簡易浄化装置があれば使ってください。

【簡易シェルターで被爆から身を守る】

◆ 放射線はいろいろな物質で遮ることができます。

◆ ペットボトルの入った段ボールで作る簡易シェルターを部屋の中につくり、子どもの被曝を軽減します。子どもは大人よりも被曝の影響を受けやすいです。水のシェルター内では、放射線量が30%ほど軽減します。

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福島第一原発事故あるある!ママとパパの困りごとエピソード

  • 避難するのかしないかで、家族内で意見がわかれる。
  • 放射性プルームが流れた高線量の地域に避難してしまい、余計に被曝した。
  • 水や食料を求めて、子どもを連れてスーパーの屋外に長時間並んだ。
  • 母乳からの赤ちゃんへの被曝を恐れ、断乳した。
  • 家族と離れた場所での、ママ1人の孤独な出産。
  • 外遊びを制限された子どもたち。
  • 被曝防護のために子どもの外遊びを制限した。
  • 「外に出たい!」と言うことを聞かない子どもを殴ってしまった。
  • 居住地域の汚染の状態がわからず、保養の必要性をめぐって家族内で意見が分かれる。
  • 「保養に行くなら離婚して行け!」と家族内でもめる。
  • 食べ物や飲み物をどう選ぶか、基準がわからない。
  • 震災直後に水道水を飲んでいたが、あとになって水道水の汚染が気になった。
  • 被曝の感受性高い子どもにはペットボトルの水を、パパには水道水を飲ませるママたちの経済観念と優先順位のつけ方。
  • 選択の自由がある・ない、子どもと大人の生活格差。子どもは食べ物も遊ぶ場所も選べない。
  • 私たちは本当に大丈夫なの?と親に言えない子どもの悩み。
  • その他…

*たらちね、2022年3月11日までの聞き取りから

日頃から家族で、災害発生時にどうするのか?放射能汚染についてのどう考えるのか?を話し合っておくことが大切です。

【私たちの体験談】

震災当時の家族構成
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どこにいたか サービス業正社員勤務。お客さんが帰るまで帰れず、保育園とも連絡が取れず、保育園にいる長男の安否を心配していた。
震災直後の行動 食料や水を求め、配給所に並んだ。水道は1か月止まっていた。
避難 ガソリンがなく、妊娠中だったため避難したかったけど、家族と意見が合わず、やみくもに避難して何かあったらと思いとどまった。
放射能 同居中の家族は食品の汚染も気にせず食べていたが、1歳の子どもと妊婦中私は、家族とは一緒に食事をとらないようにし、安全そうな食品を選んでこっそり食べていた。
後悔 1歳の子どもにもっと気を使いたかったけど妊娠中だったためできなかった。避難、食事、屋外での活動を制限できなかったため、今後子ども達に影響がでるかもと思ってしまう。
震災当時の家族構成
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どこにいたか 会社員で、勤務中に震災が起きた。入社間もなかったが、会社の消防隊だったため工場内の亀裂などないか確認作業をしないと帰宅できなかった。海の近くで働いた妹と連絡が取れず、とても心配だった。
震災直後の行動 水が出なかったので、給水所に並んだり、山水・井戸水を何度も汲みに行っていた。
避難 まだ20歳だったので、自分一人で避難をしよう。と考えられなかった。親が避難すると言えば、着いて行っただろう。
放射能 水道が1ヶ月でなかったが、山水を汲みに行くのは止めた。祖母が作った野菜を食べたくなかったが、当たり前に食卓に並んでるので嫌だと言えず仕方なく食べていた。テレビの情報から、野菜が汚染されているんだろうな。とは、感じていた。
後悔 若かったということもあり、外に出ることに抵抗がなかったが今となれば外に出ることを控えればよかったと思う。チエルノブイリ事故を調べていると、孫の孫にまで影響を及ぼすと書いてあり、当時の行動を後悔している。
震災当時の家族構成
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どこにいたか 宮城県在住。パート勤務中で地震が起きて慌てて屋外に避難した。沿岸部の町は津波がきているから山側の道から行くようにと言われて子ども達の保育園に迎えに行った。沿岸部で仕事と言っていた夫とは連絡がつかなかったが、後から沿岸部に行ってなかったことを知り、夜になってやっと合流した。
震災直後の行動 電気水道ガスはすべて止まっていたので、飲料水や食料は配給や炊き出しからもらった。余震がひどく、自宅倒壊の可能性を考えてて自宅には帰らず、夫の職場に一時的に避難させてもらった。
避難 避難できる親戚などはいなかったし、放射能汚染に関する情報もほとんどなかったので、遠方に避難する考えはなく電気が通った1週間後には自宅に戻った。
放射能 福島に住んでいる祖父母が放射能汚染を心配して、孫を外に出さないように、雨や雪に触れない、洗濯物を外に干さないように連絡がきた。それほど神経質に気にはしていなかったが、福島県に引っ越すことになり、娘が小学校に入学したら、震災直後に福島在住じゃなかったので甲状腺検査は対象外だといわれ、それから放射能に関して色々調べるようになった。
後悔 震災直後から、子ども達を外で遊ばせてしまったし、食料が不足していたので配給のおにぎりや自家栽培の野菜などもらえるものはなんでも食べていた。放射能汚染の心配があるのなら、外遊びさせなかったし食料も汚染の可能性があるものは控えたかもしれない。
震災当時の家族構成
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どこにいたか 宮城県在住。専門学校でテスト中だったので、近くの高台の高校に避難した。家族となかなか連絡がつかず、夜7時ごろやっと母と合流できた。自宅は津波で全壊してしまい、祖父母は高台に避難していたが兄とは1週間連絡がつかなかった。
震災直後の行動 電気が止まっていたのでラジオで情報収集していたが、周辺の町では津波や火事が起きていた。食料は冷凍保存したものでどうにかしていたが、電池や日用品などは2時間以上並んで購入した。
避難 自宅が全壊してしまったので、秋田の親戚の家に1か月避難した。その後、自分は学校の寮へ、家族は夏頃に仮設住宅に入居した。
放射能 放射能が危ないと言っている人もいなかったし、テレビが映っていないので原発関連の情報は全くなかった。福島県の方と結婚して、高速道路などにある線量表示をよく見るようになりそれから少し気にするようになってきた。
後悔 震災で身の回りのものがすべてなくなってしまったので、大切なものはいつも持ち歩いていたほうが良かった。
震災当時の家族構成
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どこにいたか 福島第一原発から10km圏内の自宅に子どもといるときに激しい揺れに襲われ、お昼寝をしていた娘を抱いて外の駐車場に逃げた。誰にも連絡がつながらなかったが、義父母が心配して自宅まで来てくれていた。
震災直後の行動 自宅近くまで津波が来ていたので、高台の小学校に避難した。翌日早朝に原発が危機的状況だと聞かされ、どこも大渋滞でガソリンが少なかったから、封鎖されていたガタガタの国道を次の避難先に向けて必死に走った。
避難 自宅に一度戻り娘のミルクなど必要なものを持って避難した。その後自宅は立入禁止区域になってしまったので、滞在できる避難先を求め10か所以上の避難先を転々とした。避難者という事を知られたくなかったので、日々の買い物以外の外出はしなかった。
放射能 放射能汚染の知識がなかったので、汚染が進んでいる心配より広島、長崎で起きた原爆を想像して最悪の事態を覚悟した。測定を受けないと受け入れてもらえないと言われ、衣服の測定をしたらすごい線量で恐怖を感じた。
後悔 自宅から見えるところに原発があって当たり前のように生活していたので、原発で事故があった場合どんなことが起きるのか全く知らず興味もなかった。無知は怖いなと痛感している。政治・政策を人任せにせずに、自分の感覚を行動に移しておけばとと思った。
震災当時の家族構成
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どこにいたか 飲食店パート勤務。仕事が終わり帰るところで激しく揺れ、小学校にいる娘を迎えに行こうと思ったが、いつも使う大きな道路は通行止めになってしまい、細い道路を通ったら家屋の倒壊で道路が車線規制になっていたため小学校まで4時間もかかって迎えに行き、津波の影響がないエリアだったので自宅に帰った。
震災直後の行動 電気は通っていたが、水道・ガスが止まっていたので水と食料を求め、スーパーや配給所に長時間並んだ。
避難 放射能が危険だという知識が全くなかったので、漠然とすぐ解決するだろう思い避難の必要性を感じていなかった。
放射能 震災直後は、まったく知識がなかったのでほとんど気にしていなかったが、あとから、当時の空間の放射能汚染や食品の汚染のはなしを聞きそれから気になってきて、食品などは食べないようにしたりした。
後悔 放射能に対して知識がなかったため、スーパーや配給所に娘を連れて長時間並んでしまい無駄な被ばくをさせてしまった。

放射能汚染について知る

【放射線量を知る】

近くのモニタリングポストで放射線量を確認します。その時の放射線量が高いか低いか知るためには通常の測定値との比較が必要。そのために、日頃から「どのぐらいの放射線量なのか?」測定値を確認しておくことが必要です。近くにモニタリングポストがない場合は、インターネットでリアルタイムの放射線量を確認します。その場合も、事故が起きていない時の放射線量を知っていることが大事です。

▼インターネットで放射線量を知る▼

*日本各地域のリアルタイムの放射線量
https://www.erms.nsr.go.jp/nra-ramis-webg/

*たらちねのホームページ・Facebookから、福島県いわき市の最新情報を確認できます。

Facebook : https://www.facebook.com/tarachineiwaki/

HP : https://tarachineiwaki.org

たらちねの情報は限られたエリアの情報ですが、普段の放射線量も公開しているので、比較する上で参考になります。

【風向や雨雪の情報から放射性物質の動きを知る】

避難する場合は、風の動きを確認し、原子力事故の発生現場から100km以上を目安に離れてください。しかし、せっかく遠くに避難しても、風下に動くと放射性物質も風と共に追いかけてきます。

福島原発事故では、雨や雪が降った地域に多くのセシウムが沈着しました。

下の動画は2011年の3/12~3/23に大気中に放出され地表に沈着していく様子です。

▼風の動きを知る▼

*風の流れをビジュアル化しているサイト。台風の風がすごい勢いで流れていきます。風の他に、波、化学物質、pm2.5等の表示も可能。 

https://earth.nullschool.net

*世界中の風の動きがビジュアル可されて表示されるサイト。風だけでなく雨、雲、気温の表示が可能。さらに表示高度も変えることが可能で、地表の風とは動きが違うことも見ることができる。

https://www.windy.com/?37.052,140.882,5

▼雨や雪の動きを知る▼

*日本の気象庁が公表しているリアルタイムレーダー、台風の状態や降雨予測を見ることができます。放射性物質の降下状況を知るために雨や雪の動きを知ることは大事です。

https://www.jma.go.jp/bosai/nowc/#zoom:5/lat:34.034453/lon:135.021973/colordepth:normal/elements:hrpns&slmcs

【今だからわかる、あの日、あの時の汚染】

2011年3月11日の福島第一原発事故発生直後、近隣地域に暮らす私たちに、空間放射線量や水道水の放射線量の情報はありませんでした。

「今だからわかる」あの日、あの時の水道水は、今の水道水と比較すると8000倍〜16000倍もの高濃度に汚染されていたことがわかります。

このデータを見ると、その水を飲んだり、お風呂に使ったりしたことが心配になります。原発事故災害の初期被曝を軽減するために、的確な情報を得ることはとても大事です。

放射性物質はセシウム134やセシウム137だけではありません。甲状腺に取り込まれやすい放射性ヨウ素131もあります。

原発事故が起きた直後には、水道水にも多量の放射性ヨウ素131が含まれていたことがわかりました。これらの結果も、事故後、リアルタイムで私たちに知らされることはありませんでした。

▼原発事故直後の放射性ヨウ素とセシウム137による水道水の汚染▼

2011年3月16日~4月11日 原子力災害現地対策本部実施

2020年 水道水の測定値 測定:いわき放射能市民測定室たらちね

▼2011年4月5日、「あの日」子どもたちが通学した日の空間線量▼

2011年4月5日、子どもたちが歩く場所の空間線量の情報もないまま、福島県内の公立の小中学校では通常通り始業式や入学式が行われました。

「今だからわかる」高濃度の汚染の中を、子どもたちに薄いマスク1枚で歩かせた罪は大きいと感じます。「あの日」の空間線量は、通常の10倍〜60倍の放射線量でした。

避難、移動時の注意事項

原発事故直後は、かなり高い数値での放射能汚染の可能性が考えられます。大人よりも子どもの方が放射線に対する感受性が高いので、初期被曝をできるだけ軽減するために原発事故発生現場から100km以上を目安に避難してください。

被曝による健康影響は、被曝直後よりも数年、数十年後に発症します。福島第一原発事故を経験した母親たちは「あの時、外に出してしまった。」「あの時、知らずに水道水を飲ませてしまった。」「あの時、詳しく知らなかったから、家庭菜園の野菜を食べさせてしまった。」など、「あの時!」のことを、後になっても、ずっと心配しています。

被曝から子どもを守るために「やりすぎ」はありません。子どもはできるだけ保護することが、子どもの心身の健康を守ることになり、また、保護者のみなさんの悔いを残さないことにもなります。

◆ 放射線量が高い場合は、移動中は子どもを外気に触れさせないよう注意してください。

◆ 外を歩かなければならない時は、子どもを毛布やタオルで包んでください。また、長時間、外にいなければならない時は、その上からビニールのレインコートや大判のナイロン袋などをかぶせてください。

◆ 福島とチェルノブイリの居住可能エリアの年間放射線量を参考にして下さい。

放射性物質を測る

たらちねでは、2011年から、子どもたちの周りの環境放射能の測定を行ってきました。ここでは、その測定方法を紹介しています。私たちは、測定技術を身につけるのに、とても苦労しました。私たちが見につけた測定技術を多くのみなさまにお伝えし共有させていただくことで、いざという時に役立てらるよう準備していきたいと思います。

測定方法のコンテンツ(テキストや動画)は随時、更新していきます。

【食品のセシウム134・セシウム137の測定】

▼測定動画:https://youtu.be/8lumputofYk

▼測定テキストPDF:bousai_01_v2.pdf (6MB)

ストロンチウム90の測定

▼測定テキスト絵本版PDF:bousai_02.pdf (3MB)

▼測定テキスト詳細版PDF:bousai_03.pdf (3MB)